小柳さんに寄せて
追悼文集・むすび特集号 小柳祥子さんの歩みと自立生活 掲載 (あすなろの会むすび編集部) 1985年12月25日
小柳さんは宮沢賢治が好きで、5人で岩手県に旅行に行った時の写真です。レンタカーを借りて 私が運転係だったのですが、当日免許証を忘れてしまい、友人の免許証でレンタカーを借り、 私は無免許にもかかわらず運転を任されて、東北自動車道をかっ飛ばしました。 そんな恐い物知らずの私でした。 |
火葬場であなたの煙が空に広がるのをぼんやり見たり、知人と談話したり、
幼児がたわむれる光景を見たり、そんな中で一人の女性の姿が目に止まった。
ボーイッシュないでたちの、まだ学生と見受けられる女性であった。私の足は彼女に向かって歩き始めた。
そうして私は唐突に直感で初対面の人なのに。彼女はあなたが入院する夜、私に電話で翌日のあなたの介護を頼んできた人物である事を悟り、
次の瞬間遠慮も無く彼女に話しかけていた。
「小柳さんが入院される夜、私に電話を下さった方ですね。」
11月26日夜10時過ぎであったろうか。その彼女からの電話を受ける。
「もしもし小柳さんの家に介護に来ている者ですが、小柳さんのかわりに電話をしているんですが、明日の夜来ていただけないでしょうか。」
友人と翌日約束していた私は一度は別に約束がある事を彼女に告げ、あなたが直接電話に出ないことを、別段不思議にも思わず断りがちに対応したが、
彼女の話により、あなたの体が思わしくない事を知り、翌日夕方より介護に入る事を約束する。
あなたが側で彼女に伝言する声が電話にもれ、電話にも出られない状態である事がおぼろげながら感じられ不安になり「大丈夫ですか?」とたずねた。
すると彼女は「今、小柳さんの知り合いの看護婦さんに薬をもらえるよう連絡をとっています。明日の朝、お姉さんが来ますので、そのつなぎで礒谷さんは
お願いします。」そういって一抹の不安を残しその電話は終わった。その夜、あなたは容態が悪化し、緊急入院していた。
翌朝昨晩の彼女より電話があり、「小柳さん、夜中に入院して今病院にいます。ですから今晩の介護いりません。その次の日はAさんになっているので、 やはり介護に来なくてもよいと伝えて下さい。」
それが危とく状態のあなたから私への伝言であった。
それから2週間しないうちにあっけなく。あなたは亡くなってしまった。本当にあっけなく。
火葬場からの帰途、あなたの家に最後の介護に入っていた彼女がつぶやいた。
「いつか小柳さんの夕食作っていたんですよ。出来上がったら小柳さん寝てるのね。それで目がさめたら言うんですよ。人に何かしてもらって、
何か頼んでて、こんなにぐっすり眠ったの初めてだよ」って。
私はあなたの忠実な介護者でもなく、あなたの友人にもなり得ない中途半端な存在であった。 なぜそれなのにあなたの所へ足を運んだのだろう。生死をさまよい息もたえだえのあなたから私への伝言が。“介護の断り”であったことは 改めてあなたとわたしとの関係の一端を物語っているように思う。
(※文中の私が翌日約束していた友人とは、このサイトのおじさんでした。)
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