おじさんの写真館

おじさんの若かりし頃から最近の家族写真まで


おじさんの26歳頃の写真です。

  大学のクラブの後輩に撮ってもらった思い出の一枚です。 かぐや姫の曲でも流れてきたら、ウッときて、目がうるんでしまいそうです。

  以前、大学時代の先輩が、ある日突然ハーレーに乗って、自宅に尋ねてきてくれました。 その後その先輩は、再び突然現れ、今度は奥さんとともに、一世代目のロードスター(2ヒーターのオープンカー) に乗って、「玉井。元気か?。」と言いながら、ユーミンのCDを聴いて帰りました。

また同じ時期の2005年夏、今度は今は製造中止となった、名車スバルのドミンゴに乗って、大学時代の後輩が ある朝突然「今から玉井さんの所へ桃を買って行きます。」と電話があり、やはり奥さんと2人やってきました。 後輩の頭を見て、寺尾聡みたいな頭になっていて、どう言っていいか、わからず、一瞬沈黙が流れました。 彼もまた、ハーレーの先輩と一緒で今、某施設の管理職です。 苦労しているんだなぁとしみじみ思いました。

また、何十年も音沙汰のなかった、友人がメールをくれたりという 事が続いたので、ふと昔がなつかしくなりました・・・。あの時、君は若かった!

大学を卒業して1年目の頃です。

  当時はスリムだったでしょう?

  初めて自分の給料で買った一世代目のスターレットです。 当時ラリーの神様と呼ばれていた、オベ・アンダーソンのCMが流れていました。

  私はいわゆる『遠くへ行きたい』タイプでは無く、“近くへ行きたい”タイプで、 女性の好みに合いそうなムードのある穴場をよく知っていました。 それは、なぜかという種明しをすると、夜な夜な湯上りに車の窓を開け、 ドライヤーがわりに、髪を乾かしながら色々な道を走っていたその成果です。

その頃、私はアマチュア無線で交信しながら、走っていました。 アマチュア無線で様々な業種の方々と知り合いになり、 今は化石と呼ばれているQSLカードの交換をするのが、楽しみでした。 宝石商・印刷デザイナー・横浜国立大学の学生・トラックやタクシーの運転手さん等と交信したり、 フォックスハンティングのコンクールに参加したり、なつかしい思い出です。 交通事故を起こしたときは、助けてくれたり、道路の渋滞情報を教えてくれたり、 また、家に無線のアンテナを立ててくれたりとずいぶんお世話になりました。 現在も無線機もコールも持っていますが、なかなか出る機会がなくなってしまいました。 ちなみに私のコールは昔と同じJE1CDEです。

あとカミングアウトしますが、私は、若い頃から頻尿だったため、よく耐え切れず、車を止めて おしっこをしちゃった訳で、どういうわけか、1回おしっこをした所は絶対に覚えているタイプなので、 道には詳しいです。およそ三十年たった今でも、その場所を今でも時々、思わず愛用してしまう事が あります。

明 椅子にすわっている写真 明と初期のスターレット
おじさんの37歳頃の写真です。

  横で微笑んでいるのは、妻と長男です。 新婚当初は優しかった妻もすぐ本性を現し、今流行の鬼嫁と化し、毎日がバトルロワイヤルのような日々でした。 仕事で疲れて帰って来た私は、妻にいびられるのを事前に察知する能力が条件反射的に身に付き、 『頼むから今日だけは、からまないでくれ。』と、何回頼んだ事でしょう。
  今まで、よく結婚生活がもってきたものだと・・。本音を言えば私のガマンの賜物でしょう。 おっと、ここは、百歩ゆずり、家族の平和のために、わがままな妻もそれなりにガマンしていた事にしましょう。

明と妻と長男の写真

最近の家族写真です

入院中の長男の写真
受傷して24日目に意識がよみがえった時です。(東海大学医学部付属病院高度救命救急センター救命病棟にて)
出血性ショックで血圧上30。下は不明で救命救急のスタッフの皆様のおかげで奇跡的に生還しました。

ICUを出た後の救命病棟でのモニタの写真

ドクターのスケッチ 2004年9月28日

胆汁液の写真
ICUを出た後の救命病棟のモニタの写真。
気管切開をしてICUを出て1週間後に熱発し、感染症になってしまいました。
10日間39度〜40度の熱とスタッフの皆さんのケアの元、闘いました。
原因は食事をずっと食べれなかったので胆のう炎と軽い肺炎との事でした。
胆のうの摘出のオペで熱は急速に下がり元気になりました。
術後感染症になり、胆のうが炎症を起こしたため、胆汁液がどす黒くなってしまいました。
本来の色はペパーミントグリーンだそうです。救命病棟の主治医であった、 感染症の分野のエキスパートである関口先生(ヘアスタイルが江口洋介風?)より何かあった時に培養して使って下さいと頂きました。
我が家の冷凍庫で保存してあります。

長男と明クリスマスのツーショット写真 最新の創外固定用の器具
5回目の手術前のクリスマス頃です。
(東海大学医学部付属病院の2階フロアにて。)
近日中に転院が決まりました。
スタッフの皆様、8ヶ月の間お世話になり、どうもありがとうございました。
1月7日に5回目の最後の足首のオペでプレートを入れた時に、創外固定をはずしました。 創外固定とはハローベストのミニ版です。最近よく手足の固定をするためにも使用されています。従来のギブスよりも 清潔です。オペ終了後、主治医であり整形外科の東海大学医学部の先生でもある頸部脊椎症、腰椎変性疾患がご専門の野村先生が記念にとくださいました。

介助を受けてクラッチ歩行してる写真 トイレやお風呂でのADLチェックをケアマネージャーさんにしてもらっています。
7ヶ月半ぶりに自宅に外泊しました。
5月13日〜5月16日までの3泊4日の試験外泊でした。
ケア・マネージャさんに補助してもらいクラッチ歩行しています。
退院後に日常生活をヘルパーさんに援助して頂くので、
ケア・マネージャさんに自宅のお風呂やトイレ等のアクセシブルの点検および 現在のADL(日常生活動作)を確認して頂きました。
ピアノを弾く長男の写真 長男のトランペット演奏の写真
7ヶ月半ぶりにピアノ演奏をしました。
曲名は映画『タイタニック』からMy Heart Will Go Onです。
カーペンターズやジョン・レノンも久しぶりに奏でてみました。
7ヶ月半ぶりに吹いたBACKのトランペットです。
『北の国から』のテーマ曲にチャレンジしました。
ブランクがあるので、音が少しかすれぎみでしたが、雰囲気は前と変わっていませんでした。
中学時代にアンサンブルコンクールで県大会まで勝ち残りました。過去の思い出ですけどね。
マイルス・デイビスにはまっている昨今です。
入院中毎日、毎日ジャズを病棟で聞いていたら、 看護士さんに『玉井君はなぜジャズが好きなの?』 と聞かれました。答えは一つ。『自由だから』です
神奈川県総合リハビリテーションセンターの中庭にて。長男の写真 神奈リハの中庭で長男と三男
ようやく6月9日に東海大学医学部付属病院から、神奈川県総合リハビリテーションセンターに移りました。
リハビリ頑張ります。(神奈リハ中庭にて)
自宅から近くなったので、面会が楽になりました。

三男と妻の雪の日の写真 明とマイリコール車の写真 海にて。明と三男の写真
二男がコンピュータをしている写真
三男のパソコン操作の写真
データをデレクトリィを掘って見つけるのが大好きです。
ネットサーフィンでコピー&ペーストで、すばやく検索します。
長女と三男が雪だるまを作っている写真


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