「障害者の二次障害」

「障害者の二次障害」

1999年11月23日 神奈川県自立障害者自立生活支援センター主催自立セミナーでのパネラーとしてのレジュメ          玉井  明
犬のカット  私の初期症状

 頚椎症とつき合って14年。今思えば私が27歳の若々しい時だった。 初めて出た症状は、左の腕の付け根あたりを、剣山で軽くたたかれている様な痛みや、同じ 場所の筋肉がピクピク痙攣しはじめた。当時私は、昼には、地域作業所活動を行い、夜は「県立ゆうかり園」で 夜間当直の仕事をやっていた。

私の中期症状

 30歳から40歳。肩こりが(特に肩甲骨あたり)がひどくなって、マッサージや低周波治療機等で、こりをやわらげていた。 左手の握力が低下し、グローブでボールが取れなくなってしまった。 さすがにこの頃に、自分の体の異常に気づき、ゆうかり園の整形外来で頚椎のレントゲンを初めて撮る。頚椎と頚椎の間が変形し、狭まって いると言われる。別に治療らしいことはしなかった。35歳を過ぎると、首を動かすと痛くなってきた。また、朝起きる時や、空を見上げようとした時(粉薬を飲むときと 同じ姿勢を取っているときである。)などは、首から指先に掛けて、電流が走るような痛みを感じるようになった。

私の末期症状

 地域の整形外科で首を牽引したりホットパットで暖めたり、痛いときには痛み止めの注射を首に打ってもらったりしていた。41歳になって急にころびやすくなったり、 起き上がれなくなったり、そのうち手もあがらなくなったりした。そのうち青い芝の内田さん、小山さん、矢田さん、小仲居さんなどに、 アドバイスされ横浜南共済病院を紹介された。
 そこでかの、知る人ぞ知る大成ドクターの診察を受けた。当時小山さんが、、手術をしていたので、小山さんがうまくいったら、 私もやろうと、実は思った。そしてその後結局手術する事になった。

 手術は大変だった。痛みよりも緊張を押さえるために、アテトーゼが強まり、4日間ほど、眠れなくなって苦しんだ。その後2週間ベッドで固定され、 苦しい日々を送り、ようやく、リハビリにも、行けるようになったのは、術後3週間位だった。ここで私が感じた事は、2週間の寝たきり状態の中で、 身体的及び生活上の介護をどうやってボランティアで補っていくかという事と、精神的に安定した、術後の治療を受けるにはどのような事が考えられるかが課題だと思った。 このような、私が経験したことは、例えば、頚髄損傷や脊髄損傷者、脳血管障害の方々は、医療的なマニュアルが確立されていて、どこの病院にいっても、対応はある程度、 同じである。しかし脳性マヒ者の二次障害については、知っている人も少なく、医療的にも確立されていない。そのような状況の中で、障害者の高齢化が進むにつれ、 二次障害に悩む人たちが増えてきているのが、現状である。

 障害者に携わる専門医、PT、OT、養護教諭もこの実態を認識し、障害者のトータルな人生プランに基づいた、機能訓練や、治療等を、確立して頂きたいと切に思う。

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