自立生活は怖くない

自立生活は怖くない

ILタイムズ第4号2002年5月25日発行       玉井  明
ジャンプ   この頃ふと思う事だけれど、障害者の自立生活というもは、すごくむずかしく、 微妙なものだとしみじみ考える。昔CP(脳性マヒ)の先輩に「玉井。よく動くな。そんな事は健常者に まかせておけばいいのに。」なんてよく言われたものだ。

  今思うと、かなり的を突いた言葉だと感じるが、当時僕には、何を言っているのかよくわからなかったんだ。 今僕は首と腰が痛く、若い時のように行動ができず、何となくあの時言われた言葉が、重く感じてくるんだ。 若いうちは自分が障害者だということをあまり感じず、仕事から帰って、みんなで湘南の海へ行ったり、酒を飲んだりして、 翌日は仕事にまた行ったような事を思い出す。若いという事はこわさを感じず、また一刀両断で、諸先輩方が、培ってきた、 経験を否定してきたものだ。振り返ってみれば、よくぞもののあわれを理解できなかったと思い、また僕自身大変反省をしている。 僕がやってきた事や、言ってきた事も、きっと若い人に引き継がれ、私を一刀両断にされ、大半の人が、同じ道筋を通るのだと思うんだ。 知識とか、経験は全く無意味な存在になってしまう。そこに若い人の残酷性を感じてならない。

  障害者の自立生活においても、先駆的に施設を出て、アパート探しをし、ボランティアを見つけ、 やっと安住の地を見つけたと思ったら、病気になり死んでしまった仲間がいるという事を、私たちは絶対に忘れてはならないと思うんだ。 近頃の風潮として、アメリカ社会学をモデルにした個人主義的な個人の内面に返す、カウンセリングがもてはやされ、 平成15年度から始まる支援費制度をはじめとして、サービスを金で買う事がさも良い事のように言われているが、 私自身その事に対して大変違和感を覚えてならない。僕は、やっぱり70年代の人間だから、共同体思考が抜けきれない。相互扶助、 みんなで何かをやろう。そこに生活があった。お前は古いと言われるかもしれないが、鶴田浩二ではないけれど、 「古い奴ほど新しいものをほしがるものです。」

  障害者が今自立をするという事は、先天的な障害者にとっても、中途障害者にとっても、一瞬のタイミングが大事だと いう事に変わりはないんだ。それを逃したら一生自立できなくなってしまう可能性があると思う。ところでこの原稿のタイトルである 「自立生活は怖くない」は、一瞬のタイミングをずらすと大変恐怖で、ややこしいものになってしまうと感じるという事なんだ。 ぜひこの事を忘れないでね。と庄司薫チックに書いてみました。

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