明のページ-脳性マヒ者の二次障害と障害者解放

脳性マヒ者の二次障害と障害者解放

(社)神奈川人権センター機関誌(『人権』センターニュース2006年3月20日No165号)原稿より
理事  玉井    明    
冬眠中の熊の親子のカット 脳性マヒという障害を知っていますか
  脳性マヒ(Cerebral Palsy = 略してCP)は脳の中枢神経に損傷を起こして、特有の症状が出てくる障害です。 母体にいるときからの障害や、出産時の酸素不足、黄だん、低血糖の問題、脳の微細血管から生じる問題等、 出生後、発熱や、脳外傷など様々な原因により起こる障害です。

  主な種類としては大きく分けてアテトーゼ型、痙直型、失調型があります。共通の症状としては、 不随運動からくる、筋肉のバランスをくずしてしまう症状です。それは正常な運動意志によらない自発的運動です。 また、心理的要因で筋緊張を助長しています。このような事から運動機能障害を引き起こしています。

  アテトーゼ型は筋肉緊張が強く、音や知覚(体の接触等)に反応しやすく、不随運動が強い症状が出ます。 しかし、筋肉緊張を利用して不随運動を止める事が出来ます。
  痙直型は筋肉に自然に力が入り、ひじ・肩・腰・膝・足首等が突っ張ってしまい不随運動がおきます。
  失調型は力が入らなく、ふんばりがきかず、体のバランスがくずれやすいです。 言語障害の言葉を聞き取るのが非常にむずかしいです。
  一般的な医学の分類では上記等のような分類がなされていますが、 私を含め多くの脳性マヒ児・者は何らかの前出の複合型であると思われます。

脳性マヒと二次障害
  脳性マヒ者は30才から40才頃になると二次障害と呼ばれる症状が出てきます。 実際、かなりの脳性マヒ者が二次障害特有の症状に悩んでいます。 二次障害が出やすい人は、比較的軽度で労働や運動に携わっている人たちが多いと思われます。 この事は中高年の障害者または更生施設や療護施設に勤務している、指導員、PTなども問題にしています。 しかしデイ・サービスや養護学校に通う当事者及び、親、職員等はこの事をまだ把握していないというのが現状です。 症状は下記のとおりです。

  • 時々腕のつけ根がピクピクしたり、すり傷のようなピリピリとした痛みを感じる。
  • 手が自分の意志に反して動いてしまう
  • 握力低下
  • 肩こり
  • 頭痛や心臓がドキドキしたりして循環器系の病気ではないかと思う症状が出る
  • 朝起きると首が痛い
  • 上を向くと首が痛い
  • 寝た姿勢で起き上がれなくなる
  • 腕に力が入らなくなり、手が挙がらなくなる
  • 足に力が入らなくなり、転びやすくなる
  私たちは時には頑張り、時には挫折を感じながら生きてきました。しかし、四十歳も過ぎるとその頑張りが、 アダとなり、療護施設入居者がある日突然死んでしまう、いわゆる突然死が諾先輩方を襲ったことも少なくはありません。 医師も頸椎の一番と二番辺りの神経が圧迫され、呼吸中枢に異常をきたして亡くなってしまったと言っていました。 一般的に全身性障害者及び中途障害者(脳陛マヒ者を含まない頸髄損傷者や脳血管障害者など)の医療的なケアは確立され、 どこの病院に行っても、それほど変わりがない治療が行われています。ところが、脳性マヒ者だけが、 歳をとればとるほど医療から離れていってしまうのが現状です。私が手術をしてみて思ったことは、完全にはよくはなりませんが、 進行は抑えられたということです。

  しかし、手術をしても先天的な緊張が、なくなるわけではなく、エネルギー代謝も激しいため、 加齢も速く、そして、手術・治療をした部分の、前後の骨が、再び圧迫され、10年スパン位でまた、二次障害が表れます。 ただ一つ言えることは脳性マヒにとって、書くという事、話すという事、自分で食べるという行為、つまり生きて行く事そのものが、 ハードな事なのです。したがって、個人の表現を代行して、誰かが実務をこなす必要があり、その事によって脳性マヒ者の 能カが最大限に発揮できると思いますが、現況の産業社会の中で、それを主張したら、「一般の健常者でも、その他の障害者でも、 大変な状況の中で一生懸命生活しているのよ。」と言われてしまいかねません。が、脳性マヒの個別の特殊性を主張しない限り、 私たちは市民生活を送れません。

神奈川における脳性マヒ者の二次障害の歴史
  神奈川県において脳性マヒ者の二次障害の歴史は、1990年代から障害者側から症状の訴えがあり、 どこの病院に行って診察を受けても、あまり治療には結びつかず、放置されてきました。しかし皮肉な事に医学の進歩とともに、 脳性マヒ者も長生きをするようになり、加齢化が進み、二次傷害というべき症状がスポットをあびるようになりました。 神奈川青い芝の会を中心として医師探しが始まりました。当時横浜市立大学整形外科の技術と情熱を持った若き医師との出会い、 その後、その医師は横浜南共済病院に移り実績を重ね、また横浜南共済病院の院長が以前県立ゆうかり園の医師だったこともあり 現在県内では脳性マヒ者の二次障害を理解し、受け入れ体制が可能な病院になりました。毎年二次障害の相談は増加して 全国からの問い合わせが相次いでいます。

脳性マヒ者の生活と労働
  従って脳性マヒの就労の間題はかなり複雑だと考えます。 就労時間、仕事内容についても個々の障害の緊張度合いによってもまちまちです。 基本的に脳性マヒ者は息をはく時、緊張する人が多く全部はききれず、肺の1/3程度しか使っていないそうです。 したがって、はけなければ、生理的に吸えない事になります。そのため、酸素供給量が一般の健常者と比べて少なくなります。 最近その事がわかるようになりました。例えば計算的には一般の労働時間が8時間だとすれば、 その3倍のエネルギーを消耗していることになると私の主治医のドクターが言っていました。つまりそれが原因で、 長年の生活動作によって、中高年になると、首や腰の骨の変形からくる神経圧迫が二次的な障害を作り出す結果となってきています。 若いうちからトータルな人生設計を考えて行く事が大事だと思われます。

二次障害問題は一般常識との闘いであり障害者解放の本質を表している     
  結びになりますが自立支援法を基盤とした障害の一元化の方向性に対し、私は危機感を持っています。 私なりの運動の仕方としては、自分自身の現在置かれている状況として、今まで述べてきたように、 脳性マヒ者の二次障害という問題を抱えながら、その事に焦点を当て、かつての運動がそうであったように、 一般常識と対立しながらも、共生・共闘をめざし、社会的分断と向き合いつつも行動したいと考えています。 その事で運動を活発に進めている時期に怠けていると言われても、後ろめたさがつきまとっても、 障害者解放を体現する活動だと信じて継続していきたいと考えています。全ての障害者が自分が抱えている障害の特殊性を 自己主張していくべきだと考えています。                          
    

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